2017年4月4日火曜日

現代の治安維持法=共謀罪法案に反対します


4.1 内面の自由を考える集い -映画『横浜事件を生きて』と共謀罪-



治安維持法が適用された冤罪事件として知られる「横浜事件」。
特高による拷問を受け、でっち上げにより有罪となった元被告木村亨さんが、事件を語り、再審請求をされていた頃のドキュメンタリー映画「横浜事件を生きて」を上映しました(1990年作成)。

「横浜事件」の実態を知ることで、治安維持法がいかに人権侵害の法律で、国家権力の濫用を招く悪法であったか学ぶことができました。

この映画の縁で、亨さんと結婚されたまきさん(西東京市在住)をお招きしてお話を伺いました。横浜事件に関する裁判のこと、闘いについて自費出版されて、ご遺族として伝え続けておられます。最近は、共謀罪との関係で話される機会や取材など増え、使命感をもたれて「横浜事件」を伝えておられます。
木村まきさん
後半は、3月21日に閣議決定された「共謀罪」法案について、市民の思いを7人がリレートーク。
意見交換を行い、監視社会が強化され、当局の判断で、様々な市民運動や言論活動等を抑え込むことが可能となる共謀罪の危険性を確認しました。
4度、廃案にしなければいけない法案です。



リレートーク「市民Oさん(南町)」の発言

共謀罪については大きな危惧を抱いています。


 安倍首相は最初、オリンピックの開催にはテロ対策のためとして国連の「国際組織犯罪防止条約」の批准が不可欠、そのための法整備として、国内では共謀罪の新設が必要だと大見得を切っていました。


しかし、実際には条文にテロの文言がまったくないことがわかって、またもや国民に大嘘をついていたことがばれてしまいました。


しかも、この条約のために共謀罪を新設した国は、批准した187ヵ国中2ヵ国だけだったという報道もありました。


 その共謀罪の内容ですが、対象とする犯罪は批判を受けて600から277に絞られはしました。それでも、テロ以外の犯罪が6割をしめているということです。


しかもテロ対策としては、直接取り締まるものだけでもすでに58もの法律があり、新たに共謀罪として法律をつくる必要はまったくないということです。


 そもそもオリンピックのテロ対策のために批准が必要だとした「国際組織犯罪条約」が2000年に国連で起草された際、日本政府は、この条約にテロ対策は含めるべきではないと、現在と正反対の主張をしていたということが、先日の東京新聞で報道されました。


 共謀罪の本当の目的は、テロ対策とは別のところにあるのではないのでしょうか。

共謀罪の処罰対象は「組織的犯罪集団」に限定すると政府は言っています。


一見、普通の市民の私たちにはまったく関係がないような説明を繰り返しています。


しかし、最初は限定的に運用されたとしても、一旦法律が成立したら、いくらでも対象を広げていくことができるでしょう。


現に今国会で、政府は処罰対象について、「普通の団体」が【性質を変えた】場合「組織的犯罪集団になりうる」という政府統一見解を示しました。


私たちのような市民団体や労働組合などにも、捜査機関が【性質を変えた】と判断すれば、いつでも「組織的犯罪集団」として共謀罪が適用されるということです。


例えば、政府の進める政策に疑問を持ち、今日の集まりのようなものを企画しただけで、捜査当局が問題ありと判断すれば摘発の対象になりうるということです。

警察などの捜査機関の恣意的な判断で、誰もが摘発の対象になり得る。これは先程の横浜事件の映画にも描かれたように、戦前戦中の治安維持法で実際に頻発に起こったことです。


横浜事件の場合は、事件に関係のない事で人が集まったことが問題視されましたが、今は通信手段が格段に拡大しています。


現に金田法務大臣は、LINEや、メールの一斉送信でも共謀罪が成立すると今国会で答弁しました。


実際に何の行動をも起こさなくても、LINEやメールを「既読スルー」、つまり来たメールを読み捨てただけでも逮捕される可能性があるわけです。

共謀と言いますが、犯罪の相談はおおっぴらにはしないのが普通です。秘密裏に相談される事柄を、警察はどうやって取り締まるのでしょうか。


 昨年の参議院選挙で、大分県で警察による民進党や社民党の候補の支援拠点へのビデオの盗撮が発覚しました。


共謀罪が施行されると、今後はこのような警察の盗撮、盗聴やGPSによる監視が一層拡大されるのではないでしょうか。


 現に昨年12月から施行された通信傍受法、いわゆる盗聴法で、警察の盗聴活動は合法となりました。


これまで年間十数件だった盗聴件数は飛躍的に拡大しているようです。


これまでの警察の盗聴は、通信会社の社員の立ち会いのもとに、決められた場所で行われていました。しかし新たに施行された通信傍受法では、この制限は撤廃されました。


立ち会い人がいない中で、警察がやろうと思えば、傍受した会話内容や人物を恣意的に改変することも可能です。


盗聴の本来の目的以外で知り得た微罪で新たに捜査対象とされても、その経緯は誰にもわからないでしょう。


この合法的盗聴の対象に共謀罪が加わるのは時間の問題ではないでしょうか。


さらに、警察が捜査を目的として、組織の事務所や個人の自宅室内に忍び込んで、秘密裏に盗聴器を設置するという「室内盗聴」の合法化も取り沙汰されています。


いくら警察でも、これはやり過ぎではないでしょうか。プライバシー保護もなにもありません。人件侵害、犯罪と言ってもいいと思います。


これからは私の家にも盗聴器がしかけられるのでしょうか。

政治的な話は今でさえ、なかなか話題にしにくい世の中なのに、さらに共謀罪が加われば、私たちは疑問に思ったことをうかつには喋れなくなります。


たとえ逮捕されなくても、共謀罪があるというだけで心が萎縮します。

共謀罪の一番の怖さは、処罰されることではなく、「処罰されるのではないか、逮捕されるのではないか」と恐れるあまり、世の中に対して自分が何も言わなくなることではないでしょうか。そうしてお互いを監視しあい、人間不信の蔓延した社会にしていってしまうことではないでしょうか。

この問題が出てきた時に、最初に私の心に浮かんだのは、亡くなった父親がよく話してくれた、戦争中の、自由にものの言いにくい社会の雰囲気です。


そして、数年前に観たドイツ映画『善きひとのためのソナタ』などの映画や、ハンナ・アーレントの著作などを通じて知った、ナチスや、旧ソ連のKGB、旧東ドイツのシュタージが支配した暗い時代です。


うかつにも遠い昔のことと思っていました。


戦後70年も経た今、この日本で、まさか自分が、もう二度と再び来ないと思っていた暗い時代の到来に怯える瞬間がくるとは。

そして自問します。


そんな社会になったら、私は果たして耐えられるだろうか?  自分の良心を保っていられるだろうか?


そして、現政権も相当ひどいけれど、さらに狂信的な政治が支配するようになっていった時、果たして社会にはそれを拒絶する力が残っているだろうか?  と。

自由にものを考え、口にすることをためらわせる社会。そういう閉鎖的な社会に、自分も加担していかざるを得ない、その怖さ。

共謀罪は、戦前の治安維持法などの反省から生まれた憲法19条で保証される「良心と思想の自由」を私たちから奪う、まさにそういう法律だと思います。

自分の弱さを知っているからこそ、共謀罪の怖さを広く知らせ、その成立を何としても阻止したい、そう強く願っています。




0 件のコメント:

コメントを投稿